読書感想文には書き方がある
読書感想文と聞いて、何を思い浮かべるだろうか。私は、小学校のときのつらい思い出がよみがえってくるのだが……。
特に、小説に興味を持たなかった私にとって、読書感想文は地獄だった。本に書かれているできごとは、私とは関係のない他人事、そう思っていた私に感想などあるわけもなく……。こと私の弟に至っては、やることが大胆で、「多くの武将が争う戦国時代の世の中で、一番印象に残ったできごとはなんですか?」という小学校社会化テスト裏面の記入欄に「ない」と一言。
それはともかく、私(及び弟)ほど酷くなくても、読書感想文に苦労した人は多いはずだ。その読書感想文、一番のポイントは、味わって読まないことだ。
私は、なにか印象に残るはずだと、何度も本を読んでいたが、そのやり方自体が間違っていたのだ。
この本を読んで、いかに自分が無駄なことをしていたかを思い知らされた。それと同時に、読書感想文なんて難しくない、と思うようになった。そして、この本を小学生になる前に読んでおきたかったと思った(笑)
この書き方さえつかめば、映画でも何でも感想文はお手のもの。
小説の読み方
読書感想文が楽に書けるようになった私だが、それだけでは世の中楽しくならない。そう、小説が楽しめないからだ。
しかし、小説にも読み方というのある。この読み方だと、芥川龍之介や夏目漱石、ドストエフスキー等の作品までもが明瞭にわかるそうだ。
私もためしにやってみた。それが以前の記事「ノーと私」だ。なるほど、確かにこの読み方なら、全体の構成から全体の中における各部分の重要性まではっきりと掴み取ることができる。今まで、小説を読むことが、こんなにも分析的で思考の求められるアカデミックな所業だとは思いもしなかった。もう、小説を「おもしろかった」「つまらなかった」では終わらせない。
「ノーと私」を読んだときに感じたことだが、この読み方は作者の考え方を探るような、そんな読み方でもある。
“書く”ことの意義
“書く”ことで、それは作品になる。
“書く”ことで、自分のものとして残る。
そして、相手に影響を与える。
“書く”ということは、我々が考えている以上に大きな意味を持つ。これは「読ませるブログ – 心をつかむ文章術」にも書いてあったことだ。ここでは、“書く”ことによる個人の内部的変化について、私の体験を書くことにする。
この本を読んでからというもの、書くことによる知識の定着を、身をもって体感している。まさに(本に)書いてあった通りだ。(2009年)、“日経新聞を読もう”というブログを書いている。毎日必ず、日経新聞の感想を書くというものだ。経済に詳しいわけでもないので、わからないことは多い。しかしその中でも、考えて書こうとする。
新聞といえども文章。記者がどのようにして書いたのか、その記事からなにがいえるのか、考えながらブログを書いている。信じられないかもしれないが、考えながら書くことで、私の頭は整理され、書く前には思いつかなかったアイディアが生まれる。書いた後には一皮向けているのだ。
この“書く”という知的な作業は、確実に私の能力を高めている。ただ、もし、私がこの本と出合っていなかったら、こんな体験はできなかっただろう。書くことで生まれるメリットを、享受できていなかっただろう。なぜなら、書くことが苦痛だっただろうから。そして、書くことで生まれるメリットを見過ごしていただろうから。
著者の齋藤 孝さんは、「齋藤メソッド」という作文指導塾を経営している。子どもに文章の書き方を指導しているそうだ。
ポイントに気づくと、そこからの伸びは速いようで、受講者はみえちがえるような実力を発揮するんだとか。大人向けにも講座を開いたりしているらしい。
本は大きく分けて、3部構成。最初が「書くことの意義」について。次が、「実践マニュアル」。最後に「書く力をさらに上げる具体的な技」。
もともとは、単行本で出版された本。評価が高いんで、文庫になって安くなりました。Amazon の評価もスゴイですね。買いだと思います(私は買いました)。